憲法改正の早期実現を求める意見書への賛成討論(加藤漠議員)
6月定例会において、意見書の採決がありました。自民党が提出した「憲法改正の早期実現を求める意見書」への賛成討論を加藤漠議員が行いました。そのときの討論文を掲載します。


私は、ただいま議題となりました議発第9号、「国会に憲法改正の早期実現を求める意見書議案」について、賛成の立場から討論を行います。
先の国会において、憲法改正の手続きを定めた改正国民投票法が可決、成立いたしました。国民投票ができる年齢を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる方向としたことが大きな柱であり、このことによって憲法改正に必要な手続きが整ったところであります。
現在、我が国を取り巻く東アジア情勢は、一刻の猶予も許されない事態に直面し、国民の国防に対する意識は間違いなく変わってきております。
また、南海トラフ巨大地震をはじめ、首都直下型地震といった、来るべき巨大地震への備えなど、緊急事態へ対処する仕組みづくりは喫緊の課題でございます。
このような状況の中で、国民投票法の成立から7年が経過して、憲法改正手続きが整備されたことを大いに評価するところであります。
現行の日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布、そして翌年の昭和22年5月3日に施行されました。以来、今日に至るまでの約70年の間、一度の改正も行われていません。
しかし、世界の国々に目を向けてみますと、戦後に憲法を改正した回数は、アメリカが6回、フランスが27回、イタリアは16回、さらにドイツに至っては59回もの改正を行っています。
世界各国では、国際情勢や国を取り巻く環境変化に対して、柔軟に憲法を改正しています。特に、日本と同時期、または、それ以前に制定された各国の憲法は、急速な時代の変化を受けて、かなりの頻度で憲法を改正しています。 
戦後一度も改正されていない日本の現行憲法は、世界の成文(せいぶん)憲法を保有する188カ国の中でも、改正されていない憲法としては、「世界最古の憲法」となっているのが、まさに現状であります。
また、近年およそ20年の間に、世界の約100ヶ国が新憲法を制定しておりますが、そのほとんどの国の憲法には、緊急事態の対処や平和について、または環境の保護、家族の保護といった項目が定められています。日本では、平和については定められているものの、その他の項目については一切の規定がなく、その必要性を検討することも重要であります。
戦後、日本は、昭和20年8月に敗戦して以降、昭和27年4月にサンフランシスコ講和条約が発効されるまで、約7年近くもの間、アメリカをはじめとする連合国の占領下に置かれておりました。現行憲法は、日本がまだ占領下にある中において、公布、施行された憲法でございます。約一週間という短期間でマッカーサー試案がつくられて、占領軍の強い影響を受けて憲法が成立したのであります。
そもそも憲法は国家の最高法規であると同時に、その国の歴史、伝統、文化といったその国の国柄を示すものでございます。例えば、韓国の憲法の前文では、「悠久なる歴史と伝統に輝く我が大韓民国は」という文言から始まっております。また、中国の憲法であれば、「中国は世界でも最も古い歴史を持つ国の一つである。中国の各民族人民は、輝かしい文化を共同でつくり上げており、栄えある革命的伝統を持っている」としています。さらにロシアであれば「われわれは、祖国に対する愛と尊敬、善と正義の信頼を伝えた祖先の記憶を尊び」という表現がみられる等、自国の歴史や伝統を強調している国を挙げれば枚挙にいとまがありません。憲法でしっかりとその国の国柄が表現され、国家の理想が高らかにうたわれていることは、世界各国共通の認識だと言えます。
一方で、日本の現行憲法の前文で記載されている内容は、どうでしょうか。占領下での基本方針は日本の国力を低下させることであり、それまでの日本の歴史、文化、伝統の否定でありました。その理念に基づいて憲法がつくられており、当然、そういったものが反映されたものにはなっておりません。
特に、「日本は安全と生存を、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して委ねる」との内容は、自分の国の安全と生存を他の国々に委ねているという事であり、現実からあまりにもかい離していることは明らかであります。
我々自民党は、結党以来、「憲法の自主的改正」を「党の使命」に掲げ、これまでも憲法改正に向けた多くの提言を発表してまいりました。平成24 年4 月28 日には、「日本国憲法改正草案」を発表し、先の参議院選挙においても、公約として、広く国民に訴えてまいりました。さらに、自民党以外の政党においても、公明党は環境権やプライバシー権など、新たな理念や、条文を加えていく議論、みんなの党や維新の会では独自の憲法改正案、そして、民主党では、「憲法対話」を進め、改正への議論を深めていくなど、各政党からもそれぞれに憲法改正に対する議論が行われております。
憲法改正の手続きは、憲法第96条によって、改正には衆参各院の3分の2以上の賛成を得た上で、国民投票でも過半数の承認を得る必要があると定められています。そのことからも、どの条項から改正するのか、優先順位やその条文等、各党の考え方を十分議論していく必要があり、何と言っても最終的に決めるのは国民であり、国民的な議論、合意形成が大切であるは言うまでもありません。憲法改正と言えば、その焦点が第9条に集まりがちでありますが、これまで申し上げました通り、憲法を巡る課題は山積しています。
今、私たちがやらねばならないことは、日本を取り巻く環境、時代の変化に対応した憲法にしていくこと。そして何より、日本人の誇りを取り戻すためにも、日本の歴史や伝統、文化に基づき、自分たちの国の憲法は自分たち自身で作っていくということこそが日本の未来を切り拓いていくのだと確信をするところであります。
以上、国会に対して、新たな時代にふさわしい憲法改正案を早期に策定することを強く求め、同僚議員各位の御賛同をお願い申し上げまして、私の賛成討論といたします。
2014年7月7日

集団的自衛権の行使を容認しない意見書への反対討論(中西哲議員)
6月定例会の意見書採決において共産党他から提出された「集団的自衛権の行使を容認しないことを求める意見書」に対する中西哲議員の反対討論を掲載します。


私は議発第11号の意見書議案に反対の立場から討論をいたします。
集団的自衛権行使の例としては、ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに軍事介入した「チェコ事件」、アメリカが南ベトナムに介入したベトナム戦争の事例があげられます。
しかし、現在ではこれらの集団的自衛権を援用したのは誤りであったとの見方もあります。
我が国においては、現憲法制定を審議した当時の昭和21年6月26日の衆議院本会議で吉田茂総理は「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定していないが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものである。」と答え、また同28日の衆議院本会議では、共産党の野坂参三議員が「侵略された国が自国を守るための戦争は、我々は正しい戦争と言って差し支えないと思う。」「憲法草案の戦争一般放棄という形ではなく、侵略戦争の放棄とするのがもっと的確ではないか。」といった質問に対し、吉田総理は「国家正当防衛権による戦争は正当なり、ということを認めることが有害であると思う。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたのは顕著な事実であり、正当防衛権を認めることが戦争を誘発する所以であると思う。」とまで言い切っています。
戦争中に軍部から圧力を受けた吉田総理ならではの言であります。しかし、その後国際情勢の変化と共に、吉田総理の考え方も政府の考え方も変わってまいります。
憲法制定当時の政府は「憲法9条第1項は我が国の自衛権を直接否定していないが、第2項によりこれを行使する手段が物的・法的にないため、侵略に対し自衛戦争はできない」と解釈し、(個別的・集団的)自衛権による戦争は実質上放棄している、とした解釈から、昭和56年(1981年)の鈴木内閣において、「我が国が、国際法上、集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるので、憲法上許されない」とする現在の政府の解釈まで、幾度も解釈の変遷があります。
それでは、当初我が国の独立を守るためにはどうするかというと、国連に守ってもらうという考え方でありました。ところが、戦後間もなく米国対ソ連・中国の東西冷戦がはじまり国連が機能しなくなりました。
昭和25年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると、日本は米国の要請で同年8月10日に警察予備隊を発足させ、翌年の昭和26年9月8日には日米安全保障条約を締結し、日本の安全を米国に依存させることを決めました。
さらに、昭和27年10月15日には保安隊の発足、そして昭和29年7月1日には自衛隊を創設し、同年12月22日、大村防衛庁長官は衆議院予算委員会で「自衛のための抗争は放棄していない」と答弁しました。
その後現在に至るまで、日米安保条約に基づき、自衛隊は防衛戦略において盾の役目を果たし、攻撃力、槍の部分は米軍に依存し、専守防衛を国防の基本方針としてまいりました。
米軍と協力しての防衛体制の確立が、戦後一貫して我が国の基本戦略でありました。
一方、司法判断についてみると、昭和34年(1959年)のいわゆる砂川事件の判決において、最高裁判所が初めて憲法9条の解釈論を行いました。憲法第9条第2項は「戦力の不保持」と書いてありますが、憲法の前文では「国民の平和的生存権」を認めています。主権者たる国民の生存権です。また、憲法前文に平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼することによって我が国の安全と生存を保持しようと決意していますが、国連による軍事的安全措置に限られていません。
こうして、裁判所は「我が国が主権国として持つ固有の自衛権は否定されたものではない」「日本の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」と言いました。
これが文理解釈で初めて正面から言ったものだろうと言われております。
それでは、今なぜ集団的自衛権についての憲法の解釈の変更が必要になったのか、それは日本を取り巻く世界情勢の変化であります。
平成3年(1991年)12月のソヴィエト連邦の崩壊以後、米国の突出した軍事力が世界を支配してきました。
しかし、米国の軍事的な1強時代も、米国の経済的状況に伴って大きく変化しております。オバマ政権は2021年までの10年間で4870億ドル、約50兆円の国防費を削減するとしております。
また、2012年1月に公表された米国の新「国防戦略指針」によりますと、アジア太平洋地域に関しては、米国の経済上、安全保障上の利益が西太平洋及び東アジアからインド洋及び南アジアにかけての弧状の地域の発展と密接に関連していることを理由に、米国は、その安全保障戦略を、よりアジア太平洋地域へ重点を置いたものとすることが記されております。
また、2013会計年度予算要求の際に示された人員の削減方針によれば、2013年から2017年までの5年間で、2012年現在の陸軍56万2千人体制から49万人体制へ削減、海兵隊は20万2千人体制から18万2千人へと削減されることになっており、海・空軍の削減分(1万4百人)と合わせると、まさに10万2千人もの削減が計画されております。
そして、米国がアジア重視と言いながら、イラク、アフガニスタンから引き上げた米軍の多くはアジアではなく、米国本土へ引き上げております。沖縄の海兵隊も、一部の陸上部隊はグァム島その他に移転され、東アジアには少ない兵力しか配備されておりません。
このような米軍の大幅削減計画の中で、中国は毎年大幅に軍事費を増大させており、その軍事力を背景として、東シナ海、南シナ海で日本やベトナム、フィリピンなどと緊張を高めております。昨年1月には中国海軍の軍艦が海上自衛隊の護衛艦と哨戒ヘリコプターに対して、火器管制レーダーを照射するなど、不測の事態を招きかねない行動をとりました。
この背景にあるのは、南シナ海においては当該海域に300億トンから700億トンの石油とガスが埋蔵されていると推計されるからであり、一部ではすでに採掘しているといわれております。東シナ海の尖閣諸島においても全く同じ状況であります。
中国は、ベトナム戦争末期で、すでに米軍が南ベトナムからほぼ引き上げた1974年1月に南シナ海の西沙諸島に侵攻し、南ベトナム海軍と戦闘を行い、南ベトナム海軍に34名の戦死者を出しております。
また、1988年には南沙諸島の赤瓜礁においてベトナム海軍に攻撃を仕掛け、ベトナム海軍に死者行方不明者125名を出しております。
このような状況の中で、昨年9月10日にオバマ大統領は全米向けにシリアに軍事介入しないとして演説し、その中で「米国は世界の警察官ではない」と言いました。
この後、中国は西沙諸島、南沙諸島の自国が実効支配している地域で活動を活発化させ、尖閣諸島でも同様な行動をとっており、11月には日本の防空識別圏にかぶさる地域に「東シナ海防空識別圏」を設定したと宣言し、公海上空における飛行の自由を妨げるような動きをしています。
そして、最近では、5月24日と6月11日に、東シナ海の公海上空において中国空軍のスホイ27戦闘機が航空自衛隊のYS-11電子測定機などに約30メートルまで接近するという、大変危険な行動を四度も繰り返しております。
また、ロシアはクリミアを「併合」し、未だにウクライナでは深刻な状況が続いております。
ロシアと中国は、米国が引くと即座に領土拡大の行動に出る。これが国際情勢の現実です。

このような国際情勢の下で我が国が平和と安全を維持するためには、米国とのより緊密な日米同盟体制を確立し、抑止力を強化することが必要であります。
このような背景を受けての今回の集団的自衛権閣議決定は「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。」となっており極めて限定的な範囲での行使容認であります。
以上述べたように、この意見書議案に反対するものであります。何卒議員各位のご賛同をお願いいたします。
2014年7月7日

今こそ憲法改正議論を
永いこと眠っていた憲法論議が活発になってきました。特に集団的自衛権の憲法解釈については賛否が分かれるところです。
そもそも、なぜこのような憲法の解釈で議論が行われるのか。それは、現行憲法が実態に即していないことが大きな問題であると考えます。
昭和22年に施行されて以来60数年間、時代が如何に変わろうとも憲法は一度も改正されずに今日まできました。
要は、現行憲法は、制度疲労を起こし、耐用年数を過ぎてしまっているのです。
安全保障の面においては、終戦直後の状況と今の我が国が直面している状況をどう捉えるのか、また、国民の権利義務においても、権利ばかりがまかり通る社会をどう考えるのか。平和な状態下での憲法であり、大災害や有事下での緊急非常事態条項もない憲法で国民の生命、財産を守り切れるのか。など様々な欠陥が浮き出ています。

まして、前文では
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
というくだりは、日本の生き死にを他国に委ねることを意味しています。こんな国は他にあるのでしょうか。
独立国家としての主体性が完全に欠落しています。この前文の精神から第9条が作られています。
この第9条を愛してやまない人達は、第9条があるから日本は戦争に巻き込まれないと信じていますが、今の尖閣諸島をめぐる攻防はいつ何が起こるかわからない状況です。
戦争は二度とあってはならないことは全国民が願っており、外交において、あらゆる手立てを講じて平和裏に解決を図らなければなりませんが、その交渉にも軍事力の後ろ盾が必要なことは世界の常識です。

これまでは、憲法改正の手続きである第96条の「衆・参それぞれの総議員の3分の2以上の賛成で議決し、国民の投票総数の過半数を必要とする」という条文のハードルが高すぎ、国民は憲法について思考停止状態が長く続いてきたのが実態です。
しかし、やっと国会発議が可能なところまで来ています。
この機会を逃したら本当に戦争でも起こらない限り憲法改正は実現しないでしょう。

マスコミは、こぞって戦争への道筋をつくるものと憲法改正反対の大キャンペーンを打ってきます。
思い起こせば20数年前PKO法案が成立しました。
国会は、牛歩戦術、マスコミは、海外派兵は軍国主義の復活であると書き立てましたがどうでしょう。
今や世界の平和には欠かせない活動を行い、自衛隊は世界中から称賛されています。
いつの時代も反対の声は大きく聞こえるもですが、最後は歴史が証明してくれます。

以前に比べ憲法改正を求める声は減少してきていますが、依然40%を超える改正賛成者がいることも事実です。
憲法改正派は、再来年に予想される衆参同日選挙で、憲法改正を図る国民投票の実施を目指し動き出しました。
今こそ、冷静に、広く、深く憲法に向き合い、実態に即した日本国の憲法を日本人の手で作ろうではありませんか。
愛する子孫のためにも。
2014年5月7日

「永遠のゼロ」を観て
話題となっている「永遠のゼロ」を観てきました。原作の小説も読んでいます。
映画館は、土曜日ということでほぼ満員状態です。
戦争物でありながら若い人が多いのには少し驚きました。
さて、私は子供の頃より戦争の小説や映画が好きで多くの物を読み、観てきました。
しかし、決して戦争を美化することもなければ、正当化するつもりもありません。
まして、戦争を起こすことも、巻き込まれることもあってはならないものです。

ただ、戦争という事実の中で、それぞれの人や家族に物語があり、それらの話は後世に語り継いでいかなければならないと思います。
戦争という狂気の中で人は何を考え戦い、生きのび、あるいは死んでいったのか。
このことは、今に生きるものに多くのものを教えてくれるものでしょう。

「永遠のゼロ」は、評価の一方、戦争を美化する映画であると批判も受けています。
しかし、映画も小説も決して戦争を美化している所はありません。
かえって二度と若者を戦場に送ってはならないというメッセージが伝わってきました。
今、特定秘密保護法や憲法改正などで日本は戦争の準備をしているなどとマスコミや文化人が騒いでいますが、誰があの戦争の悲劇を繰り返したいと思っているのでしょうか。
この映画を観れば分かると思います。平和の有難みと命の尊さを。
2014年2月2日

「国益」とは何か考える
TPP交渉が大詰めを迎えています。政府は、「国益」守り抜く覚悟で交渉に臨むとしていますが、この「国益」とは何か、明確な定義は示されていません。交渉の内容が明らかになればなるほど、我々地方に住む者が考える「国益」とは、すれ違ってきているように感じます。
TPPは、メリット、デメリットがはっきりしており、恩恵を受けるものと、逆に損害を被るものが存在します。
日本のメリットは「関税の撤廃により貿易の自由化が進み日本製品の輸出額が増大する。」「整備・貿易障壁の撤廃により、大手製造業企業にとっては企業内貿易が効率化し、利益が増える。」などがあげられています。
一方でデメリットは、「海外の安価な商品が流入することによってデフレを引き起こす可能性がある。」「関税の撤廃により米国などから安い農作物が流入し、日本の農業に大きなダメージを与える。」「医療保険の自由化・混合診療の解禁により、国保制度の圧迫や医療格差が広がると危惧されている。」などが言われています。
当然産業基盤に乏しい地方にとってはマイナス面が大きくなります。

そもそも、TPPとは、加盟国独自の制度や慣習をなくし、各国共通の経済制度をつくるものです。
そのため自国の産業育成や地場産業の活用などが困難となり、また、営々と築いてきた制度や慣習などは商取引では一切通用しなくなります。
要は、「お国柄」が破壊してしまう恐れがあるのです。
私の考える「国益」とは、日本国のお国柄と命の源である農林水産業がもたらす恵みの産物であり、これを守り抜くことが真の「国益」を守るということではないでしょうか。
目先の経済的利益のみを「国益」とするならばそれは間違いです。
政府は、今こそ「国益」とは何かを国民に明確にしなければならないと考えます。
そもそも、言語・宗教・習慣が違う国が一つの制度で経済活動をすること自体無理があるのです。
そして何より、明治時代に我が国の先達が勝ち取った、独立国家の証である関税自主権を放棄することが「国益」になるのか冷静に考えてみましょう。
2014年1月26日

新年にむけて〜同じ過ちを犯してはならない
平成25年は、日本の経済が復活するきっかけになった一年でした。いわゆるアベノミクスの政策が成果をもたらしました。
株価は、昨年末1万6291円と一昨年末よりおよそ5900円高と確実に好景気に向かっています。
また高知県の有効求人倍率も、観測史上最高の0.77となりました。
今年は、消費税の導入もありますが、東京オリンピック景気などもあり更に景気は上昇していくものと感じます。
しかし、これまでの景気は、アベノミクスの第一の矢「金融政策」、第二の矢「積極的な財政出動」など、国が主導して上昇させてきたものです。
これからは第三の矢「民間投資の喚起」など民間の力を引き出すことが必要となります。
アベノミクスもまだまだ道半ば、浮かれることなく完遂させなければなりません。
ともに汗と知恵を出し合う正念場の年としたいものです。

さて、我々は、バブル景気を経験しています。今まさに新たなバブル景気が来そうな雰囲気です。
しかし、我々はあのバブル期と同じ過ちを犯してはなりません。あの時我々日本人は、経済至上主義を通り過ぎ拝金主義に陥りました。金があれば何でもできる。また、金が全てと言った浅ましい国家と成り下がってしまいました。そして「心の豊かさ」が失われたのです。
経済とは、「経世済民」(世を経(おさ)め、民を済(すく)う)であり、決して強いものだけが潤うものであってはならないのです。
我々は、あのバブル期に大きな過ちを犯してきました。
その反省に立って「真の経済の発展」と、併せて「心の豊かさ」を国家としてまた国民一人一人が考え追及していかなければならないと信じます。
2014年1月12日